アバティーユ物語

19 世紀半ば、ペレーラ医師は、アルカション湾の海洋性気候がその当時猛威をふるっ ていた結核症の治療にもたらす効果に注目します。 同じ時期、鉄道会社オーナーであると同時にアルカションの高台に数千ヘクタールも の松林を所有していたエミール・ペレールおよびイザーク・ペレール兄弟。彼らがこ の好機を逃すわけはありません。同兄弟は世界中から療養客を迎えるための不動産開 発事業にすぐさま着手します。 評判は瞬く間に広がり、ヨーロッパ各国の王室・貴族がアルカション湾を訪れました

 

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1923 年の発掘

1923 年 8 月、原油採掘に従事していた技師ルイ・ル=マリエは、アバティーユ地区の 地下 472 メートル地点で偶然にも温度 25 度の硫酸塩泉を掘りあてます。

毎時 7 万リットルの水が地上 8 メートルにまで噴きあがるその湧出量は、フランス国 内でも十指に入ります。採水した水を分析にかけた結果、以下の優れた条件が明らか になりました。ミネラル含有量が少量であること、硝酸性窒素を含まないこと、そし て採水地点での鉱泉治療効果が望めること。
高い湧水圧を利用することで、本来含まれる有効成分を損なうことなく採水し、直接 ボトルに詰める作業が可能です。フランス・ブルターニュ地方出身であったルイ・ル =マリエは、この源泉を同地方の守護聖人にちなんで「Sainte-Anne(サンタンヌ)」 と名付けました
1925 年 6 月 30 日にはフランス医学アカデミーから、同年 7 月 10 日にはフランス政府 からそれぞれ認可を受け、「Société Thermale des Abatilles(アバティーユ鉱泉会社)」 が設立されました。

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鉱泉 -1928 年〜1970 年

1928 年、鉱泉療法用の施設がオープンします。同施設は 1939 年まで人気を博しまし た。
一時は隆盛を極め、アバティーユの水の効能を利用した治療効果を求めて、世界中か ら療養客が押し寄せました。水飲み用の蛇口(現在も利用可能)の前では人々が絶え ず列をなしていました。

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大戦により施設は荒廃します。
1950 年代には再び活気を取り戻し、競争の波に飲まれるまでの期間、勢いを盛り返し ました。
1969 年「ヴィッテル・グループ」に統合。療養施設は 1970 年に閉館。同グループの もとでは生産に重点が置かれ、ボトリング設備が拡張されました

 

工業化の時代を迎えて – 1970 年から現在まで

当初は新商品開発(発泡タイプミネラルウォーター、炭酸飲料など)で生産の多様化 を図ったヴィッテル・グループも、1979 年以降は無発泡タイプのミネラルウォーター 生産に特化。1991 年「Société des Eaux d’Arcachon(アルカション鉱泉会社)」は 「Nestlé Waters(ネスレ・ウォーターズ社)」からロジェ・パドワ氏に売却されます。 2012 年 12 月まではパドワ氏とオリヴィエ・ベルトラン氏共同で組織運営が行なわれ ました。

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復興の時代

2013 年、ボルドーのネゴシアンでワイン生産家でもあるジャン・メルロ氏とエルヴ ェ・モーデ氏が同社を買収。メルロ氏はシャトー・グリュオ・ラローズ(サンジュリ アン・ベイシュヴェル村の 1855 年格付二級ワイナリー)やシャトー・マラガール(モ ーリアック文化会館)のオーナーです。モーデ氏は外食産業に特化したワイン商社 「MVins」の創業者であり、アバティーユのジェネラルマネージャーに就任しています。
2014 年には、生産能力を毎時 1 万 2000 本から 1 万 8000 本に高めるためフランス製生 産ラインを設置するなど、新たな経営陣のもとで生産ツールの刷新とスタッフ強化に 焦点を当てた事業改善が図られました。作業中の騒音対策やメンテナンスアクセスの 利便化など、作業スタッフにとっても大変有益な改良を含んでいます。

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